ただ在るということ。一瞥体験から気づいたこと。

だいぶスピリチュアルな内容ですが、自分の身に起きた体験を綴っておこうかと思います。

ある年の2月の夜、私は自分の中に光る石を見つけたのです。

1年くらいの間、自分を見失い、非常に不安定な心持ちでゆらゆら揺れながら過ごしていました。

背中の肩甲骨あたりにずっと痛みがありました。

マッサージに行っても、整体に行ってもどうにもなりませんでした。

あれ?これはもしかしてこの痛みと話せるのでは?と直感的の思ったのがきっかけでした。

その痛みに手を当てながら、じーんと心で感じたのです。

涙がこぼれてきました。

痛い、痛い、辛い、辛い。

そんな涙でした。

さらに手を当て、集中していると、自分の奥深くに触れる感覚がありました。

「お前、自分のこと嫌いやろ」

痛みが私に問いかけてきたのです。

自分の声ではっきり頭の中に言葉が飛んできたのです。

一瞬戸惑い、嫌い?と不思議に思ったのも束の間、「あっ」とこれまた直感的に思い至ることがありました。

自分のことが嫌いだった。

生きていてはいけなかった。

幼少期の母親を救えなかった自分の痛みが出てきました。

そうか、自分は自分のことを好きだと思っていたつもりが、心の中では「お前など生きるに値しない」と自分で呪いをかけていたようです。

このとき、自分が好きだという基盤が崩れて去ったのです。

仮初にも自分の生きる基盤にしていたのものが、一瞬にして無に帰した瞬間でした。

私は身震いしながら声を上げ、泣きました。

自分が消えていくような深い悲しみが襲いました。

10分、20分泣き続けたでしょうか、私はぐんぐん自分の中に入っていきました。

なにか自分の中の扉が緩んで、どんどん深くに入っていける感じがしたのです。

頑なに閉じていた扉が泣くことで緩んでいきました。

自分の中に深く深く降りていくと、深緑色に輝く石が飛び込んできたのです。

翡翠やエメラルドのような石が自分の中で光輝いている光景を見たのです。

圧倒されると同時にものすごい安心感を感じたのを覚えています。

あー、あったのだと。

自分の中にあったのだと。

何がというと難しいですが、自分の中の安らぎや安心感といったものでしょうか。

その石に圧倒されながらも、せっかくなので周囲を探るように心の内を感じてみました。

すると、あちこちにいろんな石があるのです。

それは自分のものでありながら、他人のものであるような感じもしました。

どうも石は石で繋がって、全体を作っているようなそんな感じがしました。

全体的にたどって、俯瞰してみると、どうもお寺などで見る曼荼羅のようなものが浮かび上がってきました。

石同士がただあって、それは繋がっている。

いろんな形の石がただあって、光り、繋がっているのでした。

石の形は一様ではなく、でこぼこもあるけど、それで完成されているという感じがしました。

あー、全てただあるだけなんだなということが全身でわかりました。

同時に、深い安堵を得ました。

今までの自分とは少し距離を置いて、物事が見られれる感覚になりました。

少し切り離されたような不思議な心地でした。

自分もただあるだけで、周りのものや人もただあるだけなのだということがわかりました。

そこになんらの解釈も存在しない、ただ在るという世界です。

感情が動かないような不思議な心地でした。

無といってもいいかもしれません。

ただあるだけで、ただあるだけを味わっているような感じでした。

感情が動かないと落ち着きます。

動いているのかもしれませんが、物凄く広くて深い湖の静逸な湖面を眺めているような感じがしました。

悟りを開いた。そんなふうにも思いました。

見るもの、出会う人、すべてあるだけというのは穏やかというか無の世界のような感じでした。

そんな感覚を持ちながら、2,3日を過ごし、不思議な境地にいました。

ただ、それもだんだん薄れてきました。

元の感情や解釈のある世界へと戻っていったのです。

寂しい感じもしましたが、それでいいようにも思えました。

悟ったなどと感じた自分がなんだか偉そうで少し恥ずかしい感じもします。

ただ、この体験をしてからの数日は、自分の中の深淵や世界の繋がりを見たようで、言葉にならない時間となりました。

そういった世界というのは自分の中にも外にも存在するのだと思いますが、普段はそんな風には見れないのだと思います。

解釈や感情が入ってしまうので見れないのだと思います。

それが普通のことのように思います。

それを見たからといってどうこうなるわけでもありません。

悩みが消えるわけでもなく、不死身になるわけでもないのです。

ただ、数日旅行をしてきた気分がしました。

10年ほど前、アラスカの地を一人で訪れて、陸路のない湖の畔でぼーとしていたときがありました。

車もないし、人もいないので、風の音しかしないのです。

ぴゅー、ぴゅー、という風切り音がするだけの静寂な世界でした。

もちろん、日本に戻ってきたらそんな世界とは対極の世界で暮らすことになるのですが、

自分の心の中にはあの世界が確かにあるし、いまだにその地では同じような時間が流れているのだろうと思います。

そんな体験をした数日間でした。

あとで、こうした体験をしている人がいることをネットで知りましたが、一瞥体験とかいうらしいです。

恐らく、言葉の意味から、違う世界をちらっと見る、覗くといった感じでしょうか。

アラスカでの体験とも似ているように思います。

家からその湖畔までは30時間ほどかかったと思います。

遠い遠い地です。

でも、確かに、自分の中にも、外の世界にもその空間はあるし、隣り合わせのようなもなのだろうと思います。

ただ気づかないだけで、そこにあるのだと思います。

心がざわつく日もありますが、自分の中に、この世界には静逸な空間は確かに存在するのだということを知りました。

それが、一つの心の安らぎになっています。

こちらを訪れてくださったのは、なにか悩みを抱えていらっしゃるからでしょうか、悟りを開きたいと思われているからでしょうか。

あなたの中にも安心はあるし、きっとあなた固有の形があるのだと思います。

あなたの心に安らぎが訪れますように